キャリア

社会人5年目。たくさん悩んで、自分に合った働き方について真剣に考えた話。

2019年の春に大学を卒業し、社会人になってから5年が経ちました。3ヶ月後には6年目に突入しようとしています。そんなわたしが今までどんな経緯で、今こうしてブログを書いているのか、どんなことを考えてきたのかなど、つたない文章ですが書き留めようと思います。

悩み、苦しんだ就活時代

大学2年生の夏からインターンに参加したりと就活自体には前向きに動いていた、はずでした。しかし自分の中で考えがまとまらない日々が長く続きました。

公務員講座を受けては途中で辞めたり、東京や大阪での就活に挑戦するものの挫折したり、選考が進むにつれて本当にその会社でいいのか不安になり、いくつもの選考を辞退したり。

周りがどんどん内定をもらって就活を終えるのを見て、気が焦りました。どうしようこのままどこにも内定をもらえなかったら。内定がもらえないつらさ以上につらかったのが、自分のことがよくわからないことでした。自分はどういう人間なの?何が好きで、何が得意なの?内定をもらえない不安と自分のことがよくわからないしんどさが同時に押し寄せ、たくさん泣きました。

結果、地元の中小企業に内定をもらえたのが8月頃でした。参加したイベントで接点ができた会社の社長さんから紹介してもらった会社に入社を決めるという、なんとも稀なスタイルで内定をいただき、就活を終えました。

ここから卒業まで、友達と遊んだり、アルバイトをしたり、卒論を書いたりと楽しく充実した日々を送るわけですが、社会人になることでまた大いに悩むことになります。

社会人1年目、がむしゃら期

社会人なりたての頃は、会社に馴染もうと必死でした。自分は何がしたくて、何が向いていて、どういう人生を歩みたいのかなんて、全然頭にありませんでした。とにかく目の前のことを一つずつ乗り越えようと一生懸命でした。

早朝出勤や夜遅い退勤を経験し、苦手な営業に苦戦をし、電話は手に汗握り声を振るわせながらなんとか対応をしていました。疲れ切って帰宅し気がついたら床の上で朝を迎えた、なんて日も。同じ職場の人も、仕事で接する人も、親や祖父母世代の方が多かったので、常に気も使っていたように思います。

そんな日々の中でも、できることが増えていくことはとても嬉しかったです。あとなんと言っても毎月まとまったお金が振り込まれるのは嬉しいものでした。買い物をしたり、カフェでコーヒーを飲んだり、映画を観たりできることがその時の楽しみでした。大学生のときはお金が無さすぎてそういう楽しみが十分にできなかったので。

ひと通りの仕事を経験し、人間関係にも慣れてきた頃、2つの気持ちが出てきました。1つはもっといろんな新しいことに挑戦したい、刺激を受けたいという気持ち。もうひとつは仕事内容や人間関係でも悩むことが増え、今の職場を離れたいという気持ちです。そして1年目が終わろうとする頃、東京への転勤が決まりました。

わたしの思いを尊重してくれた上司、会社には本当に感謝しています。

社会人2年目、がむしゃら期パート2

晴れて東京での勤務がスタートしました。大学生のときに一度は諦めたことが叶い、気分はうきうき。地元の職場に比べて東京の職場は平均年齢が低く、歳が近い人もいて、和気あいあいと楽しく日々が過ぎていきました。見るものすべてが新鮮でした。

仕事で悩むことや落ち込むことは多くありましたが、人に恵まれたこともあり、割と楽しく過ごせました。今思えばまだ社会人2年目でかつ田舎から東京に出て来たばかりで、多めに見てもらえていたのだと思います。

1年目同様、職場に慣れることや仕事を覚えることに必死でした。

社会人3年目、どん底を経験

東京生活も2年目を迎え、だんだんと壁に直面するようになります。まずは職場の働き方です。楽しく仕事ができる雰囲気はあるものの、自分で売上や成果を生み出さないといけない難しさがありました。東京の営業所は新しいグループ会社が発足したばかりで、新たな仕事をみんなで生み出す必要があったのです。

他の営業さんたちは、みんなひっきりなしに携帯電話が鳴り、朝夜関係なく各地を飛び回る日々。わたしは完全な営業職ではない、少し特殊なポジションではあったものの、社内の他の人の働き方を見て、自分の無力さを痛感します。

はじめての新規営業にて撃沈。他にも社内で前例がないSNSやECサイトの運営、新商品の販売促進など、いわゆる0から1を生み出すような仕事にメンバーとして入れてはもらえるものの、貢献できず。職場でも家でもたくさん泣きました。

職場の人によくしてもらうばっかりで、わたしは何も会社に貢献できていないと自分を責めてばかりの日々を過ごしました。休みの日も家で仕事関係の資料を作ったり調べものをしたりと、仕事のことばかり考えていました。

自分なりに頑張ってはいるものの、頑張りが成果に出ない苦しみを味わいました。正直とても苦しかったです。

ここで人生はじめての入院も経験します。ひどく喉が腫れ、食事や水分だけでなく唾も飲み込めなくなり、救急車で運ばれました。1週間ほどで退院はできましたが、この頃から職場を離れて地元に帰ることを考え始めます。

社会人4年目、諦めと再スタート

職場の上司にたくさん話を聞いてもらい、ようやく仕事を辞める決断ができたのが社会人4年目の5月でした。

もうすでに精神的にきつく、出勤しても笑顔をつくることさえ難しく、仕事も手につかないようなところまできていました。あのとき仕事を辞める決断をした自分を褒めたい…

会社がダメだったと言いたいのではありません。ただ、その職場にわたしは適していませんでした。0から1を生み出すことが苦手で、バリバリ仕事をとってきたり、アイデアを思いついて提案して、というようなスタイルが向いていないわたしには、他にもっと適した環境があるのではないかと思い始めました。この頃から自分に合った働き方を考え始めます。

また、饒舌に話ができ、売上目標に向かって頑張り成果を残す先輩や上司に憧れ、わたしもいつかはこうなる!と最初は意気込んでいましたが、わたしはそうはなれないんだ、無理にそうなろうとしなくてもいいんだ、と諦めがつき始めたのもこの頃です。

仕事を辞め、地元に帰ってきたのが6月。慣れ親しんだ地元、実家にいるうちに元気を取り戻し、転職活動をスタート。晴れて7月末に官公庁の非正規職員(パートタイム)枠で採用され、勤務がスタートします。

そしてなんと同時に公務員講座にも通い始めます。大学生のときに途中で投げ出すという苦い思い出があったものの、民間企業での勤務を経てわたしにはやはり公務員が向いている、そう思ったのです。学費は幸い、失業給付金で賄うことができました。

民間企業と180度違う環境での仕事に加え、夜や休日は予備校で勉強をすることになり、忙しい日々を過ごします。

社会人5年目、はじめて自分と正直な気持ちで向き合う

公務員の風土を肌身で感じ、公務員試験の勉強に取り組む日々の中で、再び迷いが生まれ始めます。

わたしは本当に公務員になりたいの?

公務員として採用してもらえると、安定が手に入ります。そして定年まで勤め上げると、老後までまかなえるほどの収入が手に入るでしょう。しかしそれらはわたしが何よりも優先して欲しいものなのか、疑問が生まれてきました。

ここで考えたのは大きく2つのことです。1つ目は「どういう生き方がしたいのか」について。どこで働くかはその人の自由。仕事は人生における手段でしかない。どう生きたいかを明確にして、そこにたどり着くために、じゃあどうしていこうか、どこで働こうか、のように目的やゴールから逆算して考えることを始めました。

そして2つ目は「自分がもっているものは何か」ということ。わたしは何が得意で、何が好きなのか。どういう環境でどういう仕事ならわたしの特性が活かせそうか、考え始めました。ここで役に立ったのが仕事上の経験です。今までに自分ができなかったことや、なぜか人よりうまくできたことなどを振り返りました。

今は、公務員を目指すことを辞め、今の職場も3月末で離れることを決め、次の仕事や働き方を考えているところです。いろんなことにチャレンジしたい気持ちもむくむくと生まれています。そのひとつがこのブログです。わたしの経験がわたしと同じように悩む人の少しでも役に立ちたいという思いから始めました。

まだまだわたし自身、道半ばですが、わたしの試行錯誤の日々をここに残していけたらなと思っています。これからどういうキャリアを歩むのか、どういう選択をしていくのかは、今のわたしには想像できていないことばかりで不安ももちろんありますが、楽しみもあります。発信をすることで、同じように生きづらさや働きづらさを感じている方の背中を、そっと押せるような存在になれたらいいなと思います。